何でも彼でも日本語にすればいいってものじゃない 
日曜日, 4月 15, 2007, 11:16 PM - 戯れ言
英語の名前を無理矢理日本語に訳したため、
余計に意味がわからなくなった言葉が多いと思った。

日本語は漢字が意味を持ち、
漢字を組み合わせることで読みがわからなくても
意味が汲み取れるように単語や熟語をつくる。
しかし訳語を作るときはそれに当てはまらなかったり、
もしくは適さないことが多々ある。
とくに僕が見た限りだと数学と情報はこれが顕著だったと思う。

関数、方程式、微分、積分、因数、対偶。
これらの用語は数学アレルギーな人が聞くと寒気がするか
なんのことやらわからなかったりするだろう。
寒気がするかはともかくとして、
予備知識無しにこれらの単語を聞くと意味がわからないのは当然だ。
これらの単語はもはや漢字から意味を汲み取るのが不可能だからだ。

これらの用語を元の意味の英語に戻してみよう。
関数:function(作用、機能の意)
方程式 : equation(等しい状態、等しくするの意)
微分 : differential calculus(差異に基づく計算、他と異なる計算の意)
積分 : integral calculus(一体化した計算、統合された計算の意)
因数 : factor(要素、要因の意)
対偶 : contraposition(対置、対立の意)

元の英単語は日本語に無理矢理訳したような造語ではなく、
もともとの意味を持っているため、
英単語の意味がわかればある程度は用語としての意味が推測できる。
つまり英語圏の人間にとってはそれほど難しい言葉ではない。
もっとも英語がわかればの話だが。

英語圏の人間にとってこれらの用語の単語は特別なものではなく、
感でも意味が推測することができるだろう。
しかし日本語に無理矢理訳すると
たちまち専門用語として暗記しなくてはならなくなってしまう。
そしてその意味も別に覚えなくてはいけない。

厄介なことに単語が難しくなると
用語を覚えることに異義があると誤解してしまうことがある。
そのため「関数、方程式、微分、積分」などの
言葉を羅列すれば格好いいと思っている人が出てくる。
高校数学とかではいないかもしれないが、
専門性を帯びた分野になると時々見かける。

確認はしてないが中学、高校の過程では
他の教科に英語を混ぜてはいけないらしい。
カタカナ語はあるけれども英語表記のままのものは無かったと思う。
このためか無理矢理訳した用語が記述されている。
日本語として意味を成していない用語と、英語としての意味を成した用語、
「僕は」素直に英語もしくはカタカナ語にした方が無難だと思う。
でも世界史の国名や人物名でカタカナに直し難いものはここでは対象外する。

ちなみに日本語に訳するのが絶対的に悪いというわけではない。
日本語の用語でも、漢字から意味が汲み取れる用語は良いもので、
それが日本語の美しいところだと覆う。


高校物理についても当てはまるかと思って
高校の頃の教科書をひっぱりだして索引を見てみたが、
意外に日本語として意味が通った用語が多かったので、
今回は高校数学の用語だけに絞った。

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ブログにコメントを付けれないことについて 
日曜日, 4月 15, 2007, 10:14 PM - 近況
僕のブログにコメントを付けたいけど付けれないと情報を頂きました。
制限がかかっているようだといわれました。

自分でコメントを付けて試したときは付けれたし、
過去にコメントを付けてくれた方がいたので問題ないと認識していました。
何か変な制限を書けていたかなと思って調べてみたらこんなのを見付けました。
Anti-Spam: Enter
「数字を書いた画像」
「入力欄」

そういえばスパム避けの機能をオンにしていました。

これは「数字を書いた画像」の数字を人が読んで「入力欄」に入力することで、
機械的に広告を書き込んでいくスパムを避けるための機能です。
不特定多数のアクセスできるブログを使ったことがある人は知ってると思いますが、
コメントにスパムがたくさん来るのでそういうのを削除していると切りが無いので、
悲しいけど使用しなければいけない機能です。

しかしその部分の説明に「Anti-Spam: Enter」としか書いていないのならば、
普通の人間には何の事だかわからないでしょう。
私もこれは確認するべきでした。
この説明は「Anti-Spam: Enter」としか書いていないので
直訳しても「スパム避け:入力」で単体では意味がわかりません。
さらにスパム避けのために画像の数字を読んで入力するということを知っていなければ
この機能がどういったものか理解できないことになります。
結果としてこの機能の意味がわからず、コメントできない人が出てしまった。

せめて「Input numbers of image for Anti-Spam」とかなら
「スパム避けのため画像の数字を入力してください」ということで
ちゃんと意味が通ったのだけど、
説明を書いた人はそこまで考えていなかったようです。

英語の壁と知識の壁が二重にあり、
両方の壁を越えれなければ理解できない状況になっていた。

なお、現在は日本語でコメントを書き直しています。

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愚痴なら聞くよ? 
木曜日, 4月 12, 2007, 09:33 PM - 戯れ言
自分が弱いことを許せない人、嫌いな人は愚痴をいうのが嫌いであろう。
人に愚痴をいうということは、
信頼していない人になんか愚痴なんていえないから、
いわれた人にとっては信頼されているということ、
いう人にとってみれば信頼しているということになるだろう。
もっとも最近だとネットの匿名性を利用して
まったく知らない他人に愚痴をいうこともできるが、
それで気が晴れるかはわからない。

困ってる人に「愚痴なら聞くよ」という人を見る。
普通の人が信頼関係がある人にそういわれたなら良いだろう。
ただ人間不審に陥るくらい疲弊しきった人に
その言葉をいったらどうなるだろう。
考えてみてほしい。

「愚痴なら聞くよ」という言葉は最適解ではなく、所詮は局所解だ。
どんな人にもその言葉が有効とは限らないし、むしろ逆効果のこともある。

「自分が周りから見て弱いように見えるからそんな言葉いわれるのだろう」
「人に愚痴をいうのは自分の弱いところを人に見せてしまう」
「相手は弱い人間を助けることで自分の優越感を満たしたいと思っている」
このように考えてしまうくらい疲弊してしまった人がいたとしたら、
その人に「愚痴なら聞くよ」といったところで逆効果にしかならないだろうと
「僕は」思う。

人間不審に陥るくらい疲弊した人はどうしたらいいのだろう。
信頼できる人を探して人間不審を解くのか、
自分の弱さを認めて愚痴を出していくのか、
自分の経験をでっちあげて人生の糧にしたり宗教を信仰することで
自分の中に信念や心の支えを創るのか、
他にも方法はあるかもしれないけど人それぞれだろう。

これを読んだ人は結局どうすればいいんだよと思うかもしれない。
これは僕も答えられない。
僕も僕なりの考えから僕なりの解を探し行動しているだけで、
それが良い解とも限らないし、むしろ悪い解かもしれない。
結局のところ、疲弊している人も助ける人も自分で考えるしかない。

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風邪と病院と血液検査 
水曜日, 4月 11, 2007, 11:35 PM - 近況
2週間前に38度5分の熱が出て、熱は引いたけれどもお腹の調子が激しく悪い。
病院にいったら
「消化系の調子が狂ってるから薬飲んで当分は安静にしているように」、
といわれたからしばらくは安静にして治ったように見えた。
しかし3〜4日前にまたお腹の調子が崩れるは喉は痛いはで、
再度病院に行くことになった。

採血して血液検査をして貰った。
「血液のバランスが崩れてるし組織が壊れてるね」
といわれた。
とにかく当分は安静にしていた方が良さそうだ。

しかしまぁ血液検査でバランスが崩れているのがわかるのはわかるけど、
組織が壊れてるかどうかもわかるのは初めて知った。
医学の進歩を舐めていた。

でも一週間くらい前に受けた健康診断の検査結果は血液検査も含めて全て正常だった。
まぁ検査項目が違うんだろうけど、なんか釈然としない・・・。

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広告 
日曜日, 4月 8, 2007, 12:40 AM - 戯れ言
ある業界の「○○を始めるのは年をとってからでは手遅れというのは誤解です」
という広告を見かけた。

「○○を始めるのは年をとってからでは手遅れ」
というフレーズを使って小さい子供を持つ親に英才教育などの
広告を出していたのはこの業界ではなかっただろうか。
自分のところでフレーズを作り、広告を見た人の意識を誘導しておいて、
「誤解です」というのは人を馬鹿にしているのではなかろうか。
もっとも商売だから法や社会通念に反しなければ売れれば何をやってもいい。
ただ短期的に売れればいいだけでなく長期的にも売れなければならないのならば、
こんなことはやらない方が賢明だろう。

実際に子供と大人で同じ事を覚えようとしたら子供の方が早く覚えることが多いだろう。
また子供のうちに習慣づけなければ大人になってからは身に付き難いものあるだろう。
しかし大人は時間がかかるだけで覚えられないわけでは無いだろう。
もっとも大人になると時間に制約がかかるから
結果的に覚えることが不可能になるかもしれない。

まぁ広告が二転三転するのは今に始まったことじゃないしどうでもいい。

いい加減な広告に「いい加減だ」と批判するよりも、
「年をとってからでは手遅れ」というのを信じるよりも、
広告がいい加減だとわかってても騙されたとでも思って信じて、
「年をとってからでは手遅れ」というのは無視して、
新しいことを始めた方が生産的だ。

広告がいい加減なことをいっていても、
自分に都合のいいように解釈して自分の人生の糧にすればよい。
私にとって
「年をとってからでは手遅れ」というのは都合の悪い広告で、
「年をとってからでは手遅れというのは誤解」というのは都合の良い広告だ。
私は前者は無視し、後者を信じるとしよう。
いい加減な広告でも自分に都合の良いように解釈すれば
丁度良い「きっかけ」になるのだろう。

もっとも、だからといっていい加減な広告があっていいというわけではない。

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