風邪と病院と血液検査 
水曜日, 4月 11, 2007, 11:35 PM - 近況
2週間前に38度5分の熱が出て、熱は引いたけれどもお腹の調子が激しく悪い。
病院にいったら
「消化系の調子が狂ってるから薬飲んで当分は安静にしているように」、
といわれたからしばらくは安静にして治ったように見えた。
しかし3〜4日前にまたお腹の調子が崩れるは喉は痛いはで、
再度病院に行くことになった。

採血して血液検査をして貰った。
「血液のバランスが崩れてるし組織が壊れてるね」
といわれた。
とにかく当分は安静にしていた方が良さそうだ。

しかしまぁ血液検査でバランスが崩れているのがわかるのはわかるけど、
組織が壊れてるかどうかもわかるのは初めて知った。
医学の進歩を舐めていた。

でも一週間くらい前に受けた健康診断の検査結果は血液検査も含めて全て正常だった。
まぁ検査項目が違うんだろうけど、なんか釈然としない・・・。

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広告 
日曜日, 4月 8, 2007, 12:40 AM - 戯れ言
ある業界の「○○を始めるのは年をとってからでは手遅れというのは誤解です」
という広告を見かけた。

「○○を始めるのは年をとってからでは手遅れ」
というフレーズを使って小さい子供を持つ親に英才教育などの
広告を出していたのはこの業界ではなかっただろうか。
自分のところでフレーズを作り、広告を見た人の意識を誘導しておいて、
「誤解です」というのは人を馬鹿にしているのではなかろうか。
もっとも商売だから法や社会通念に反しなければ売れれば何をやってもいい。
ただ短期的に売れればいいだけでなく長期的にも売れなければならないのならば、
こんなことはやらない方が賢明だろう。

実際に子供と大人で同じ事を覚えようとしたら子供の方が早く覚えることが多いだろう。
また子供のうちに習慣づけなければ大人になってからは身に付き難いものあるだろう。
しかし大人は時間がかかるだけで覚えられないわけでは無いだろう。
もっとも大人になると時間に制約がかかるから
結果的に覚えることが不可能になるかもしれない。

まぁ広告が二転三転するのは今に始まったことじゃないしどうでもいい。

いい加減な広告に「いい加減だ」と批判するよりも、
「年をとってからでは手遅れ」というのを信じるよりも、
広告がいい加減だとわかってても騙されたとでも思って信じて、
「年をとってからでは手遅れ」というのは無視して、
新しいことを始めた方が生産的だ。

広告がいい加減なことをいっていても、
自分に都合のいいように解釈して自分の人生の糧にすればよい。
私にとって
「年をとってからでは手遅れ」というのは都合の悪い広告で、
「年をとってからでは手遅れというのは誤解」というのは都合の良い広告だ。
私は前者は無視し、後者を信じるとしよう。
いい加減な広告でも自分に都合の良いように解釈すれば
丁度良い「きっかけ」になるのだろう。

もっとも、だからといっていい加減な広告があっていいというわけではない。

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白髪 
金曜日, 3月 30, 2007, 01:39 AM - 近況
最近鏡に向かうと白髪が目立つようになった。
鏡に向かってるから正面からみたときなわけだが、
正面からでこれだけ目立つなら後ろから見たらもっとあるんだろうな。
こんなところで歳をとったなと感じる。

何気無しに白髪を一本抜いてみたら
根元の方が黒になっていた。
白髪はずっと白髪のままではなく、黒に戻るようだ。
動物の毛のように生え変わるのではなく、
途中から色が変わっているわけだ。

不思議だねぇ。

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最適化 
金曜日, 3月 23, 2007, 11:00 AM - 戯れ言
最適化は平たくいえば物事の無駄を無くすこと。
さいてき-か ―くわ 0 【最適化】
システム工学などで、ある目的に対し最も適切な計画を立て設計すること。
また、そのような選択を行うこと。
三省堂提供「大辞林 第二版」より


稀にしか使わない物は買うと無駄だからレンタルにする。
移動時間がもったいないから飛行機、電車を使う。
飲食店ではマニュアル応対で物とお金のやりとりのみする。
自分でやると時間、お金がかかるから外注に出す。
病気になって動けないと困るから病院で早く治してもらう。

見たい映画もDVDを買うと高いからレンタルにする。
DVDで手元に置いておくという所有欲は何処に行ったのだろう。
飛行機、電車で各地点を結んだ方が多数の人を運ぶときに無駄が無い。
移動を楽しむという感情は何処にいったのだろう。
飲食店に入ると店員が注文を聞き、客が品物の名前を答える。
「〜をお願いします」とか「ありがとう」とか
余計な言葉をつけると聞き間違いのトラブルになるだけ。
自分でやると時間、お金がかかるから外注に出す。
ビジネスでは当然のことだが、
せめて何を任せているのくらいの余裕は必要なのではなかろうか。
病気で1日でも動けないと仕事・学業に差し支える。
人一人が1日くらいで動けないくらいで致命的になるのは
システムとして問題があるのではなかろうか。

とまぁ適当に難癖つけて否定してみたがいいたいことは
最適化しすぎて余裕が無くなってるのではないかということ。
社会のシステムは不具合がでないように最適化していけばいいが、
(そもそも不具合がでたら最適化ではない)
(また無駄の部分で生業を立てている人もいるからいきなり最適化はできない)
人の生活は最適化してしていいものではなかろう。

とはいってみたものの、人の生活が最適化されているわけではなくて
ただ単に自分が人の生活の変化についていけてないだけなのよね。
まぁ原因はわかってるんだけどねぇ。
結局は自分の問題か。
世の中の責任にしようとしている自分が情けねぇ。

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御守り 
金曜日, 3月 16, 2007, 08:41 AM - 戯れ言
そういえばここ十数年ほど御守りを持っていない。
強いていえば携帯電話のストラップにしている
北海道で買ったアイヌ民芸の鹿の角の手彫りの魔除けくらいか。
ただこれは御守りとして持っているわけではなく
デザインが気に入ったから付けてるだけだ。
最近だとこういったものはほとんどがプラスチック製なのだが
これは独特の質感と雰囲気があるから購入した。


幼稚園のころは叔母や祖母から御守りを渡されて常に持ち歩いていた。
カバンやランドセルに付けていただけだが、
不意に無くしては凄く狼狽えていた記憶がある。
水につけると効力が無くなるから塩で清めて効力を戻すとか教えられた記憶がある。
もう十数年も前のことだから断片でしか思い出せないが。

僕は神社の雰囲気が好きだからバイクでぶらついてて
目に付いた神社に立ち寄っていくことがある。
ほとんどは祭りのときにしか人がいないような小さい神社で
御守りとか置いてないところなのだが、
見掛けても自分で御守りを買った記憶が無い。
とくにバイクだと荷物を増やしたくないからというのが大きいが、
そういったことで御守りに限らずバイクで出かけたときは
なるべく物を買わないようにしている。

しかしまぁ、いつから御守りを邪魔者扱いするようになったのだろう。
我ながら情けない。

ちなみに上のアイヌ民芸の魔除けの色違いも買って
人にあげてたのだがその持ち主はそれを紛失した。
なかなかいいお値段したんだけどな。
まぁ贈り物の値段をどうこういうような下世話な話はともかく、
貰ったものだから大事にするといってタンスの肥しになるのもなんだし、
常に持ち歩いてて紛失したのならそれもいいだろう。

そういえば魔除けって厄に対して身代りになったりするんだっけか?
(宗派によってバラバラだろうけど)

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