理想と現実が違うこと 
日曜日, 6月 24, 2007, 06:12 PM - 戯れ言
理想と現実は違う。
理想は自由に想像できるが現実は制約が多い。
ただ今の世の中は(表向きは)生きることを保証されている。
だから極端に高い理想でない限り理想は努力次第で達成される。

現実を理想に近づける。
これは多くの人が望むことだろう。
ただ現実を理想に近づけるにはそれなりの努力を要する。
また論理的に達成が不可能な場合もある。

理想を現実に近づける。
今の世の中は(表向きは)生きることを保証されているが、
やはり現実は厳しい。
理想を持つとそれを実現することができず、
理想を持つことが苦痛になることがある。
達成することができない理想を持つくらいなら、
現実を見て達成することができる理想を持った方が良い。
でも、思い通りにならないのは現実だけで良いと思う。
理想まで現実に引っ張られる必要はない。

「身の程をわきまえろ」とか「身の丈にあったものを持て」というが、
それは現在の現実における「行動」に対する言葉であって、
持っている理想に対することではないだろう。
先述したように達成できない理想は苦痛になるから
持たない方が良いという意見からだろう。
でもそんなことを他人にいわれる筋合いはない。
というかそんなことはいわれなくてもわかってる。

「理想を持つとそれを実現することができず、
理想を持つことが苦痛になることがある。」
という問題があると先述した。
この問題の解決法を考えてみる。
この問題は3つ状態にわけることができる。
・理想を持つ
・理想を実現できない
・理想を実現できないことが苦痛になる
この3つの状態の中で「理想を実現できない」ことは
自分では完全にコントロールできない。
しかし残りの2つは自分の精神面の問題であり
(簡単にはいかないが)コントロールすることは出来る。
ならば解決法は2通りある。
1つは先述したときにも触れたように
「理想を持つ」という部分を
「現実を見て達成することができる理想のみを持つ」に変えることだ。
だか、この解決法は理想を現実に近づけなければならない。
もう1つは「理想を実現できないことが苦痛になる」と言う部分を
「理想を実現できないことを笑えるようにする」に変えることだ。
そうすれば理想を現実に近づけることなくこの問題を解決できる。
「現実は理想通りには行かないわwwwwwwwww」
くらいの心意気でやれば、こんな問題は問題で無くなるだろう。

結果として「理想と現実の違いを笑えるようにするという理想」を持てば良い。
しかし理想と現実は違うため
「理想と現実の違いを笑えるようにするという理想」を実現できないことがある。
ならば「「理想と現実の違いを笑えるようにするという理想」を
実現できないことを笑えるようにするという理想」を持てばよい。
しかし理想と現実は違うため
「「理想と現実の違いを笑えるようにするという理想」を
実現できないことを笑えるようにするという理想」を実現できないことがある。
ならば「「「理想と現実の違いを笑えるようにするという理想」を
実現できないことを笑えるようにするという理想」を
実現できないことを笑えるようにするという理想」を持てばよい。
しかし
(略)
ならば
(略)
しかし
(略)
ならば
(略)
現実と理想の組み合わせの数は無限ではないのだから何回か繰り返せば
いずれ理想と現実が合うところが出てくるだろう。

結局はたった3つのことに行き着く。
・現実を理想に近づければ良い。
・理想は現実に近づく必要はない。
・現実と理想の違いは笑ってやればいい。
たったこれだけのことなのに、どれも至極当然のことなのに、
理解するのにどれだけ時間掛けているだか。
まぁ、こうとでも考えてなかったらやってらんねぇわ。
我ながら情けない。

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習うより慣れろ? 
木曜日, 6月 14, 2007, 10:47 PM - 戯れ言
「習うより慣れろ」。
よく人が使う言葉だ。
間違ってはないと思う。
だが少々理不尽な言葉にも感じる。

いくら物事について習っても実際に物事を行った経験がなければ、
その物事を上手に行うことはできない。
だからあれこれ考えずに実際にその物事を行って慣れればよい。
そうすればあれこれ考えなくても出来るようになる。

慣れだけでは限界がある。
慣れるということはある程度は物事について何かを行ったということだが、
逆にやってないことについては何も知らない。
だから慣れた後こそ習う必要があると「僕は」思う。
習うことができないならば、自分で勉強するか考える必要がある。

僕は「習うより慣れろ」という言葉は
「習う前に慣れろ、そして慣れたら習え。」の略だと思う。
「習うより慣れろ」という言葉を慣れだけで使っていないだろうか。

だから慣れたなら言葉の意味を考えよう。
そして馬鹿の一つ覚えみたいに使うのは辞めよう。

論理的裏付けのない能力はいずれ破綻する。
慣れて能力にしたつもりでも、
論理的裏付けは習うか勉強しなければできない。
だから慣れだけで物事を進めるのは辞めよう。
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道があった 
日曜日, 5月 27, 2007, 05:56 PM - 戯れ言
道があった。
この道が何処に繋がってるのかは知らなかった。
だから行ってみた。
バイクはそのための力を与えてくれた。
行くか行かないかは自分次第だった。
そして知ってる道に出た。

その道が何処に繋がっているのかを知るという目標で行ったが、
その目標を達成したところで何かを得たわけではなかった。
しかしその目標の過程で鬱蒼と生い茂る林の中を通り抜けたり、
川に面した良い景色を見れたり、お茶の畑を見ることが出来た。
雰囲気を味わうことができた。



目標は達成した瞬間に終了する。
しかし過程は目標を達成するまで継続する。
目標を達成したという達成感も大事だが、
過程を楽しめるということの方が大事だと「僕は」思う。
ただ僕はそんなことをいってるからか何をやっても詰めが甘い。

一流大学に入ること、一流企業に入ること、
昇進すること、高い給料を貰うことなど、
目標ばかりが先行し過程をおざなりにする人が多い「気がする」。
目標は達成させようとすると苦しいことになる。
しかし過程を考え、創り、楽しみ、遂行できるなら、
目標を達成させるのもそんなに苦しいことではないだろう。
もっとも、そうするには生活を根本から
変えないといけないことがあるから難しい。

ぐだぐだと述べたが所詮は理想だ。
現実はこうはいかない。
そんなことは百も承知だ。
だが現実が辛いからといって理想まで曲げたくはない。

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欲しい知識 
水曜日, 5月 23, 2007, 10:57 PM - 戯れ言
自分の欲しい知識が他人から与えられることは希だ。
自分から他人に質問して解答を貰ったとしても、
それが自分が欲しかったものなのかはわからない。
欲しい知識というのは知らない知識だ。
知らないから欲しいと思うわけだ。

欲しいと思っている知識を手に入れても、
それが自分が本当に欲しかったものであるかという判断はできるのだろうか。
判断するためにはそれに関係する知識を予め持っていなくてはできないだろう。
ジグゾーパズルのようなものだ。
単独のピースを得たとしても周りのピースが揃ってなければ
それが欲しかったピースなのかは判断できない。

「学校の勉強は役に立たない」とか「学校は教えてくれない」という人がいる。
学校ではある程度まとまった知識が与えられる。
しかしその中に自分が欲しかった知識があるとは限らないし、
むしろ無い場合の方が多い。
そこだけを見ればそのようなことをいう人の気持ちもわかる。
だが欲しい知識に関係する知識もない人が
そんなことをいうのは少々図々しいと思う。

欲しい知識に関係する知識があるならば、
もはや学校で習う必要はない。
この場合はどの知識が欲しいのかが
わかっているのだから自分で勉強すればよい。

自分の欲しい知識が他人から与えられることは希だ。
たとえ与えられても欲しかった知識であると判断するには
それに関係する知識が必要になる。
だから必要のない知識だと思っても、頭の中に入れておこう。
どこで何が関係してるのかわからないのだから。

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メイドの土産 
日曜日, 5月 20, 2007, 12:11 AM - 近況
ネットゲームで倒れてる知り合いの上に爆弾を置いて逃げた。
冥土の土産、というつもりだった。
間違って「冥土の土産」と変換するところを「メイドの土産」と変換した。

「いってらっしゃいませご主人さま♪」
といわれて土産を持って冥土へと旅立つのを想像した。
どうでもいいや。
疲れてるわ。
さっさと寝よう。

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